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昔からそうなのですが、複数の人の思惑とか強い感情とか、そういうのに巻き込まれるのが嫌です。深い関係(信頼関係のある人)なら良いのですが、普通の人間関係に関しては、もう必要以上に誰かを庇ったり守ろうとしたりするのも、やめようと思いました。疲労とストレスばかりが溜まるからです。いつも話を合わせるのも疲れるので、やめます。
同時に、人間不信が強まるようになりました。身近な人に裏切られたこともありますが、女性同士の悪口大会みたいな、そこにいない人がターゲットになるようなのを見て見ぬふりをしている毎日だからです。そういう人たちとはできるだけ関わりたくないし、ただ距離を置いて、自分のことを大切にしようと思います。
財産についてのはなし
普通の日記です。
今日、訳あって「しくじり先生」という番組を見ていたのですが、45歳で無職・ホームレスになった社長の話が、強烈なインパクトのあるものでした。「マネーの虎」という番組に出ていた有名な方なのだそうなのですが(当時、私はテレビを持っていなかった)、敏腕社長が破綻して、一から這い上がっていくという話でした。
印象的だったのは、負債総額100億円という金額よりも、信頼と人を失った時の社長の話でした。お金というものは流れるものですから、一度失ってもまた埋め合わせることができますが、信頼と人は得難く、失うと本当に辛いものです。その時の社長は麻布十番のバス停で寝てしのいでいたらしいのですが、きらびやかな街、東京の富裕層が多く住む街でホームレスになるのは、さぞプライドも傷付いたことでしょう。横になれば涙が頬を伝うような、追い詰められた心境だったそうです。
そのエピソードと、また別の事業をやり始めた時に、かつての社員263人の中からたった4人が戻ってきてくれたというエピソードの時は、本当に涙がこぼれてしまいました。それは見限ったかつての社員たちへの恨みつらみではなく、無力になった自分を信頼し、慕って戻ってきてくれたことに対する、筆舌に尽くしがたい感謝の念だったということです。私には社長業のような経験も、100億単位でのお金の移動を経験したこともありませんが、人を失うことの辛さというのは身に沁みて感じるので、強く共感せざるを得ません。
信頼と人を失うのは、本当に辛いことです。
じんせいせっけい のはなし
普通の日記です。
自分の中でどうしたいこうしたいという気持ちは固まっているのに、なんで他人の許可を得ようとしてしまうんだろうなぁ。他人からしてみれば、自分で決めてくださいよってことなのに、なんで自信を持って決断できないんだろうなぁ。
親がもう生きていなかったら、きっと気兼ねなく自分の好きなことをやっていると思うんだけどなぁ。親が生きていても、気兼ねなく、色んなことを頑張れたらいいのになぁ。
もっと自信を持って生きられたら良いのになぁ、と思うけど、今頑張ってる人たちは、自信なんか先に用意してないんだろうなぁ。ただひたすら頑張っているんだろうし、それが自信に繋がるっていう、そういうのなんだろうなぁ。
失敗ばかりすると、臆病になっちゃうんだな。だから、失敗しても挑戦できる人は強いんだろうなぁ。
今日はもう寝よう…。
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自分が繰り返しているトラブルがあって、どうするべきか、分からない。ただ、どの環境でも、どの人間関係や組織の中でも、これに対する解決方法を見つけない限り、また同じことを繰り返すと思う。本当に些細なことがきっかけなのだけれども、そこから穴が広がる。見なくていいこと、見えなくていいことは、世の中に沢山ある。きっと私はそれなりにケチなのだ。
今一番胸の中に広がっている気持ちは、自己嫌悪だ。自分の見立ての誤り、失敗と損失について、がっかりしている。おそらく、同じことを向こうも考えているだろう。金の切れ目が縁の切れ目と言うけれども、そういう浅い縁に関して深いものと錯覚したことを、後悔した。