はむはむログ

たのしい、かつ、たのもしい日記

時機をみる のはなし

普通の日記です。

今日は人に助けられました。

私は「チャンス」とか「機会」についてとても疎い方なのですが、差し伸べられた手はきっと、チャンスと呼ばれるものなのだと思いました。そして、それは神様とか運命とか、よく分からん存在(そういうものがあってもなくてもいいですが、分かりやすくするため、そのようなものだと定義しておきます)が自分のために用意してくれた課題であり、贈り物なのだと。

人が初心を忘れる時は、この気持ちを失ってしまうことかもしれません。

相手の気持ちや立場を必要以上に慮るのではなく、ただ与えられたチャンスが厚意なのであることを、きちんと覚えておこうと思います。

それから、人生にはこのように、自分のために思ってくれたり、何か心遣いをしてくれたり、温かな言葉をかけてくれたりする人がいます。私は今までの人生で、様々な理由でいくつかの前向きな気持ちを断ってしまいましたが、これからは向こうから働きかけてくれた気持ちを、柔軟に受け入れようと思いました。

人間が年とともに失うものは何かと言うと、柔軟性です。経験が作り出した勘だとか、こうであるべき・こうなるはずだという固定観念とか、そういうものは人の成長を妨げるものです。自分の意固地な考えや気持ちにこだわると、大切なタイミングを逃します。その時の私に差し出されたプレゼントが、後に最善の選択肢となり得るのだと思うのです。

はなしをきこう のはなし

普通の日記です。

時々、妙に喋りすぎる自分がいるな、と思うことがあります。基本的には別に口数の多い人間でも無いのですが、無性に話がしたくなってしまうのです。

なんというか、1年に2回くらい、そんな時期が来るのですが、1日を振り返った時にそんな自分を見つけると、あんまりいい気持ちではないです。何かがうまくいっていない、という背景がそこにあることがほとんどだからです。

誰かに聞いてもらいたい話があって、誰かに一生懸命話しているのですが、他愛のないことを誰かに聞いてもらいたいと思うほど、自分は孤独なんだと、心のどこかで感じるのです。孤独というのは、自分の気持ちにばかり集中してしまうことなんだと思います。

どこかでそんな人を見かけたら、どうか彼らの中に潜む孤独に気付いてあげて欲しいのです。必要以上に喋っているなとか、自分の話が多いなっていうのは、明るいのではなくて周りを気遣う余裕が無くなっていることなのかもしれません。

しゅうり のはなし

普通の日記です。

今更、「マネーの虎」っていう番組をユーチューブで見てます。きっかけは、南原社長がしくじり先生に出ていたことです。南原社長が昔、どんな風だったのかなと興味を持ったのがきっかけなのですが、すごい面白いですね。

無名の挑戦者 対 社長5人のやりとりを見ていて、社長がどこに着眼点を置いて質問しているのか?というのが、面白いのです。

ビジネスの世界で1から作り上げて、成功を収めた人間と、ほとんど0の人間ですから、素質の無い人は一発で見破られてしまいます。素質とは、経営者としての視点、気概、あとは人間性というのでしょうか。正直なところ、彼ら(虎と呼ばれる人たち)はビジネスモデルそのものには、そこまで興味を持っていません。中身よりも、出資して欲しいという人のプレゼン能力とか、お金を渡すに信頼できる人なのか?というのが、必ず鍵になります。

番組としてあんまりにも面白いので、あれは脚本ありきかなとも思ったのですが、ギャラも無いし交通費も無い、そういう番組だったようです。それは番組内でも言ってましたし、最近南原社長も言っていました。

見ていると、思いつきでした、みたいな底の浅さが露呈してしまう人と、どこまでも起業精神に富んでいて、社長たちに見初められる人と分かれます。結局は利益をどうやって出す?というところまで、プランを煮詰めているかどうかだと思うのですが、考えてみれば必死で稼いで得るはずの何百万というお金をポンと下さいというのですから、甘い考えの人は門前払いを受けて当然かもしれません。

出資が決まって、かつ見込みのある人は「自分も経営に口を出していいのか」と同業者の社長に訊かれるのですが、自分の利益や傘下に取り込んで敵を減らさんとしているのか、それとも単純なビジネスパートナーを探しているのか、そんな心理戦も見所です。

 

それで、番組内でクラシアンの話をしている回があったのですね。前置きが長くて申し訳ないですが。(今までのは前置きです)

で、ある社長が「クラシアンなんて最初CMを見た時、誰がこんなのを使うんだと思った。今はとても有名になったけど。」と言っていたのですが、なんとそのクラシアンは廃業していった社長とは対照的に、今もなお会社として健在です。(「マネーの虎」を見ていて、多くの店舗を持つことがいかに大変なのか、お金を稼ぐことや利益を生み出すことと、会社を維持することの大変さについて、改めて考えました。そういうわけで、起業しない人でも1度は見ておく価値があると思います)。

実に10年ぶりにクラシアンを利用したのですが、すごく技術的な知識の豊富な方が直してくれて、なんかクラシアンのことを見直しました。その上、データベースにはなんと10年前の顧客情報も残っていたのです。普通は2〜3年かその程度で、顧客情報なんて消してしまうのですよ。色々なアドバイスももらえて、頼んで良かったと思って、家族にもオススメしました。

やっぱり技術職の人って大変だと、よく思います。私はお金持ちでもなんでもありませんが、当たり前のサービスと労働の価値を軽視したくないのです。当たり前のサービスは、多くの苦労によって支えられています。だから、ちょっと割高でも、安心して任せられて、きちんと仕事をしてくれる人、頑張っている人に、お仕事を任せたいなと思うのです。

沈黙とは拒絶のこと のはなし

普通の日記です。

コミュニケーションを一方的にしか成立できない人は、自分と仲良くなろうとする「意思」がない。

と、理解することにした。

黙っていることが拒絶の意思表示なのだと、捉えることにした(当たり前だけど)。

自分を大切にしてくれる人だったら、たぶんそれなりに説明して、返事をくれると思う。誤魔化さずに、向き合ってくれると思う。そういう人と沢山関わってきた。そして、誤魔化さない人の方が、数年経っても健康的で、より良い幸せを掴んでいて、素敵な人が多かった。

自分にも、そういうことがあったけれども、だいぶ昔の話。許すとか許さないとか、個人的な感情よりも前に、人生で重要なものは時間だと思うようになった。

 

信念を持って生きること、成熟した大人であること、誠実さ、思いやり、穏やかな陽射し。

そういうのが自分の作りたいもので、自分が心から幸せと感じられるものなのだと思う。

 

つかえるぶっきょう の話

普通の日記です。

「月刊住職」という雑誌が話題ということですが、「フリースタイルな僧侶たち」というフリーペーパーはなかなか面白いです。
普通の人(仏教や宗教に詳しくない人)でも気軽に読める内容で、なおかつ仏教の教えなどが登場します。インターネットでも読めるようになっています。

 

その中の、興味深かったことですが、

『お釈迦様が人を三種の文字にたとえておられるのをご存知でしょうか。
まず、怒りを岩に刻んだ文字のように覚え続ける人。
次に、怒りが砂に書いた文字のようにすぐ消える人。
最後に、水に文字を書いても流れて形にならないように、他人の悪口を聞いても少しも心に跡を留めることなく、温和な気の満ちている人です。』

『苦しみから抜け出すことは、嫌なことがあっても心に跡を留めない、水のような心のあり方です。
空虚な罵詈雑言には耳を貸さず、心を強く保つように心がけること。難しいことですが、これしかありません。』(しりとり法話バトルより、住職の稲田さんのコラム)

 

最近、人に対して嫌な気持ちを覚えたり、自分の誠意が伝わらなかったりということが多かったので、とてもためになる話でした。
自分の中にある巨大な怒りや鬱積した苛立ち、憎しみがあるとしたら、それは、執着している別の何かかもしれません。なぜ、それに対して執着するのでしょうか。本当は、形を変えた何かがそこにあるのではないか、そんな風に思います。
自分に対して、特別に嫌なことを言ってきたり、不快な態度を取ってくる人が実はいるのですが、それは形を変えた自己不全感というか、その応酬のつもりなんじゃないかと思います。私も、かつてそんなようなことをしていた気がします。(恥ずかしいです)

私たちのする大きな誤解に、大人であるほどに人間が完成された存在である、ということがあります。
他人の未熟さを認められないと、人間関係で行き詰まる気がしました。誰にでも不完全で学ぶべき部分があり、それは高い役職だからとか年上だからとか、関係ないです。その人が長い人生の中で学べなかったことを、今学んでいる。そういう気持ちで、嫌味だのひどい言葉などを流すことにしました。私自身も、そういう人たちへの見方を変えることを、学んでいるのだと思います。

昔からそうなのですが、複数の人の思惑とか強い感情とか、そういうのに巻き込まれるのが嫌です。深い関係(信頼関係のある人)なら良いのですが、普通の人間関係に関しては、もう必要以上に誰かを庇ったり守ろうとしたりするのも、やめようと思いました。疲労とストレスばかりが溜まるからです。いつも話を合わせるのも疲れるので、やめます。

同時に、人間不信が強まるようになりました。身近な人に裏切られたこともありますが、女性同士の悪口大会みたいな、そこにいない人がターゲットになるようなのを見て見ぬふりをしている毎日だからです。そういう人たちとはできるだけ関わりたくないし、ただ距離を置いて、自分のことを大切にしようと思います。

財産についてのはなし

普通の日記です。

今日、訳あって「しくじり先生」という番組を見ていたのですが、45歳で無職・ホームレスになった社長の話が、強烈なインパクトのあるものでした。「マネーの虎」という番組に出ていた有名な方なのだそうなのですが(当時、私はテレビを持っていなかった)、敏腕社長が破綻して、一から這い上がっていくという話でした。
印象的だったのは、負債総額100億円という金額よりも、信頼と人を失った時の社長の話でした。お金というものは流れるものですから、一度失ってもまた埋め合わせることができますが、信頼と人は得難く、失うと本当に辛いものです。その時の社長は麻布十番のバス停で寝てしのいでいたらしいのですが、きらびやかな街、東京の富裕層が多く住む街でホームレスになるのは、さぞプライドも傷付いたことでしょう。横になれば涙が頬を伝うような、追い詰められた心境だったそうです。
そのエピソードと、また別の事業をやり始めた時に、かつての社員263人の中からたった4人が戻ってきてくれたというエピソードの時は、本当に涙がこぼれてしまいました。それは見限ったかつての社員たちへの恨みつらみではなく、無力になった自分を信頼し、慕って戻ってきてくれたことに対する、筆舌に尽くしがたい感謝の念だったということです。私には社長業のような経験も、100億単位でのお金の移動を経験したこともありませんが、人を失うことの辛さというのは身に沁みて感じるので、強く共感せざるを得ません。
信頼と人を失うのは、本当に辛いことです。