はむはむログ

たのしい、かつ、たのもしい日記

苦しみへの理解 の話

(すごい久しぶりな)普通の日記です。

人と人の相性、みたいなことを考えていたのですが、楽しい事を共有できるのは、割と浅いレベルなんですよね。気が合うね!ワーみたいな感じで騒げるのは、友達や知人です。苦しいことをきちんと話し合えること、そして、自分の最も苦しい部分を理解してもらうことって、中々難しいのです。相手の苦しみを理解し合うことが容易に出来る人と、理解できずに溝だけが横たわる人といます。人生の明るい部分だけで繋がっている関係は、本物と言えるのでしょうか。

人には、それぞれの中の深い位置にある気持ちとか想いがあると思うのです。知人レベルの人には打ち明けないような、ひっそりとした心の洞窟の中にある気持ちです。そういう心の深いところに連れて行っても大丈夫な人と、そうでない人がいるわけで、ダメだったらもう一度連れてこようとは思わないし、相手もそれを望まないでしょう。そこが私の中で親密さを決める、一つのボーダーラインなのかもしれません。

本当は、誰もが理解者を求めています。しかしながら、価値観(あるいは信念や信条)の違いから、どうしても歩み寄れない部分が必ずあります。それは理解出来ない側の落ち度や責任とか、理解されない側が被害者となることではありません。単純に、理解出来ないという事実です。理解出来ないことに関しては、無理に歩み寄らずに静観することも、お互いの幸福なのではないかと思ったりします。

昔、「どういう人がタイプなの?」って知人に聞かれた時に「長期的に見た関係が築ける人」って答えたんですけれども、「それって具体的に言うとどういうこと?」って突っ込まれて、自分でもうまく答えられなかったんです。そのもやもやした部分の答えが、ようやくハッキリしたと思います。