はむはむログ

たのしい、かつ、たのもしい日記

じゃあ、何をえらぶ。のはなし

普通の日記です。

一ヶ月以上間が出来てしまったので、若干焦っています。
出産の意味、ということがにわかに取り沙汰されているような気がするけれども、私自身の話をしてみることにします。


私は、それまで出産に興味などありませんでした。まぁ、男性との性交渉も少なかったし、若干の潔癖から嫌悪していたり、あるいはストレスのために人を愛したりする余裕がなかったのです。何に関しても他人より自分を優先させていましたし、人を労わるだけの能力が無かった。
適齢期なのになかなか独り者の私に対して、男性の上司たちは「結婚した方がいいんじゃないかな」と素直に言ってくれました。現代ではなんとかハラスメントと言われてしまいそうですが、その人たちはゆったりと生きている50代で、純粋な優しさと心配から言ってくれていたのだと思います。当時の私は、それを素直に聞き入れられず、もっと経済的にどうしたいこうしたい、などと、反論していたのです。

今考えてみるに、こういうのは全て若気の至りと呼ぶにふさわしく、他人の助言(特に年上)は金言とも言えるくらいに大事なものなのだと、反省しています。
ある日、好きな人が出来て、その人の遺伝子を残したい、と思ったのです。
不思議なことに、それは言葉では説明のつかない本能的な感覚と願望で、「この人の子供が見たい」と思いました。
結局、その人は心変わりをして私を振ったので、もういいとは思いましたが、自分の身体の奥から生まれる本能的な訴えというものは、去った後も強い印象を残していくものです。
世の中には、いつでもできることと、期限の決められたことと、あります。
人生自体も本質的には期限付きのものですが、優先順位を間違えると、寂しい人生を送らざるを得ないのです。結局、自分の本当の願望にどこまで早い段階で気づくことができるのか、そういうのを見誤ると、なかなか苦しいことになるでしょう。多くの人の生き方に目を向けていると、自戒と教訓が多く得られます。

 

無名(匿名)の人から提供された精子によって成長した男性が、今自分の親が分からなくて苦しんでいる、何が何でも産まなければならないという風潮には反対だ、という、インタビュー記事を読んだことがあります。
外部圧力からの出産、というものにはあまり賛同はできないけれども、昔なんてそんなものだったみたいです。私の近所の方は、お見合いで結ばれたご夫婦なのですが、ほとんどデートなんかしてないみたいで、ぽいっと結婚してしまったみたいです。それでも、お互いを尊重していらして、変わるがわる私にご主人様や奥様の素晴らしいところをお話してくれます。
出産に非常に強い願望のある女性も、います。キャリアを持て囃す時期がありましたが、そういう女性は子供の産めない人生なんて・・という感じなのです。逆に、子供が邪魔だという考えの方もいます。産んだはいいけど子供をアクセサリーのように扱う女性もいるわけで(子供がいるからドコドコに行けないとか飲み屋に連れて行ったりとか)、どちらも子供より自分優先なわけです。ここまできたら、女性の中に集合的な倫理観や心理的枠組みなんて無くて、もう、女性の出産と子育てに対する意識は、多種多様なのです。


不妊治療、代理出産精子卵子提供・・・。これほどまでに生をめぐる問題が増えたのは、人が多くの選択肢を得たからでしょう。私たちは50年前よりも、はるかに自由です。そして、はるかに、不自由でもあります。
生きている限り、いくつになっても、様々な問題と私たちは向き合わなければならないのですが。
重要なターニングポイントにおいて何を根拠に決定するのか、ということに関して、ためらわずにいろんな人の話を聞いて、参考にするべきだと、最近は痛感します。とかく、ネットに強い親和性のある人(要はネットしかしない人)は、視野が狭くなります。自分の道を切り拓くとは、一人で頑張ることではなく、様々な手段を講じて納得のいく選択を、人生の途上に何万回とある分岐点で続けていくことではないかと、時々思います。

超個人的な意見を述べるなら、人間はどんどん体力と寿命と可能性を奪われながら、死に向かって歩いているものだと思っているわけで、理由をつけて先延ばしにしていることほど、愚かなことはないのです。かく言う私にもそういう「理由をつけて先延ばし」の件があるのですが、どこかでこれを乗り越えないといけない、限度のところまできてしまいました。それまでの自分を壊さなければ先に進めない時が、必ずやってきます。苦しいけれども。

じゃあ、何を選ぶのか。
何を選んでも、それなりの結果が待っているはずです。二叉路の道の向こう側には、どちらにも多くの幸福と多くの苦難が用意されています。
「本当にあなたが望んでいることは、なんでしょうか」、そう言ったある人の言葉が、私の中に時折現れては、混沌の森に迷い込んでしまいます。