はむはむログ

たのしい、かつ、たのもしい日記

誰の心の中にも、悪魔の囁きに屈してしまう弱い気持ちと、聖なる存在と同化できる神聖な気持ちの両方が同居しているんだと思うのですが。他人についてはもうどうしようもないし、なんだかもう、今更ああだこうだと気を揉む事も少なくなりました。私の善意や厚意が全く伝わらないこともある。そういったものが、逆に誰かを不愉快にさせていることもある。他人に諦めているのかもしれませんし、もはや興味を持ち続ける体力が無いのかもしれません。それでも、ほんの少しの寂しさを感じるのは、多少自分が誰かを支えてあげたいとか助けになりたいとかなれるかもと思ってしまった、不遜なところがあったからかもしれません。

昨年の真冬に、私の上司が急逝しました。私は上司と特に仲が良かったわけではないのですが、その人の背格好や横顔に似た人を見るたびに、時々静かに笑っていた顔が脳内に鮮明に浮かび上がるのです。棺の中で目を閉じて永い眠りの中にいる顔を見たのに、中々取らなかった眼鏡を外した綺麗な顔を見せてもらったのに、突然この世を去ったことが、今も静かな傷跡を残しています。

それから、どんな人もいつかは死ぬという気持ちで接するように、心掛けてきました。たとえ、仕事上で一時的に関わる人であっても。それでも、価値観の違いは乗り越えられないのかもしれません。誰かを守ってあげたいと思う気持ちが、誰かにとっては要らない優しさだった。清らかな水に棲みたいと思う魚がいるのと、澱んだ水に棲みたいと思う魚がいるように、望んでいるものが違っていた。私は誰かの期待に添えなかったけれども、仕方がなかった。

人間の感情ほど、非合理的で身勝手なものはありません。真実は一つしか無くて、各々が解釈をそこに添えては、笑ったり涙を溢しているだけ。ただ、自分が常に澱まない気持ちを持ち続ける強さ、あらゆる人の気持ちを清濁併せ呑むように受け止める強さを持とう。そんな風に思ったりしました。

変化すること の話

普通の日記です。

5〜6年間会っていない知人と久し振りに会いました。有為転変、万物は流転するわけですから、人間とて5年前と同じ人であるわけがないのですけれども、なんとなく変わってしまった寂しさはありました。以前はニコニコとしていて、人当たりの良い人だったのですが、ちょっとドライで当たり障りのない事しか言わない人に変わっていました。割とハッキリと言う人だったのですが、話し方や性格がチャーミングなので丸く収まってしまうような人でした。そういうところも私は人として好感を持っていたのですけれども、常に予防線を張っているような、何とも歯に物の挟まったような言い回しをするようになって、お互いを探り合うような感じがちょっとしんどかったです。

もしかしたら、ニコニコしていたのはそういう仮面を付けていただけかもしれません。人生のフェーズが変わったりして、もう要らないと思った仮面を捨てることって、あると思います。素顔が普通で自然なのに、その仮面を見ていた人には違和感があるという。まあ、所詮他人の目から見えるものというのは、本当にごく表面的なものなのですね。私はそれを心からの何かと勘違いしていたのですが。

人間の身体が新陳代謝を繰り返していることからも、変化というものはこの世で避けて通れないものだとは思うのですが、いいなと思っていたものが失われてしまうのは、ちょっと残念です。それでも、本人にとって今が幸せならそれでいいわけで、第三者は他人のことや人生について受け入れることしかできないですね。こういうことはお互い様なのかもしれません。布施明でも聞いて踊りますかね。ああ〜君は変わった、って。

全ての楽しさは安全によって支えられている の話

普通の日記です。

車、鉄道、新幹線、船…色々な移動手段ってあるのですが、やっぱり飛行機っていうのは乗り物として好きだと思います。苦手だった新幹線も最近好きになったのですが(独特のにおいが臭いから)、飛行機は昔から好きな乗り物です。割と古い男の人だと飛行機=落ちるというイメージから人生で一度も乗らない人もいて、そういう人は船旅をするらしいのです。私は小さい頃に祖父母の家に行くために飛行機に乗っていたので、恐怖心が無いのかもしれません。

飛行機に乗ると小さい子はおもちゃを選べて、家に着いてからそれでひとしきり遊ぶのが、私と兄弟の楽しみでした。キャビンアテンダント(当時はスッチー)のお姉さんはいつも優しくて笑顔で接してくれて、楽しい思い出しかありません。(微笑みかけられるということはとても嬉しいことです、私にはうまくできません!)。当時はEチケットなどもありませんから、乗った後の搭乗券の半券は記念に取っておいたりして、その半券は手帳に貼っておくと糊のせいか風化のせいなのか、印字が薄れたり黒く変色して、何が何だか分からなくなってしまうのでした。

周辺の土地の荒涼とした様子とか、建物の開放感とか床のつるつるした感じとか、空港には独特の雰囲気があります。夕暮れに空港に向かうと、人気の無い景色に照明や誘導灯だけが浮かんで、えも言われぬ寂寞感があります。流れるアナウンスやCAさんの制服、案内を知らせるチャイムも、空港らしさと非日常の高揚感を後押ししてくれるのです。

飛行場では大きな機体が全部おもちゃのように小さく見えて、あちらがぬるぬると動いていたと思ったら、こちらでは別の機体が今まさに空に飛び立とうとします。沢山集まっていた飛行機が広大な空へとバラバラに離散して、空港に集まった人々もめいめいの目的地に向かっていきます。刹那的な出会いと別れが交錯するひとときは、少しセンチメンタルなものです。それらを眺めているうちに、自分の乗り込んだ飛行機が少しずつ速度を上げて、身体にゴーッという大きな音と振動と慣性力を感じて、ふわりと飛び立っているのです。これほどの人と荷物を載せたものが空を飛べるということが、この歳になっても本当にすごいと思ってしまって、離陸の瞬間はいつも静かな感動を覚えます。旅慣れていない人間なので当たり前のことに心が動くのかもしれませんが、離着陸の時が飛行機は発明として素晴らしいとしみじみ実感する瞬間です。

今回はちょうど満月の前後の夜の時間帯に乗り、まん丸なお月様が漆黒の海の水面にくっきりと像を映していて、少し幻想的でした。それを見られたのは窓際の席だったからで、思わず周りを見ると、昼間の疲れからか席に埋もれるように寝ている乗客が多く、寂しいような贅沢なような気がしました。旅の過程を楽しめるのも、ひとえに安全が保たれているからです。2000年代になったというにも関わらず、私は家族が飛行機に乗る時も、無事を祈らずにはいられないのです。仮に私の乗った飛行機が落ちて、自宅のどうしようもない日記やメモ等が家族に見られたらと思うと顔から火が出そうになるので、定期的に処分した方がいいのかもしれません。今日も明日も明後日も、無事に飛行機が着きますように。

苦しみへの理解 の話

(すごい久しぶりな)普通の日記です。

人と人の相性、みたいなことを考えていたのですが、楽しい事を共有できるのは、割と浅いレベルなんですよね。気が合うね!ワーみたいな感じで騒げるのは、友達や知人です。苦しいことをきちんと話し合えること、そして、自分の最も苦しい部分を理解してもらうことって、中々難しいのです。相手の苦しみを理解し合うことが容易に出来る人と、理解できずに溝だけが横たわる人といます。人生の明るい部分だけで繋がっている関係は、本物と言えるのでしょうか。

人には、それぞれの中の深い位置にある気持ちとか想いがあると思うのです。知人レベルの人には打ち明けないような、ひっそりとした心の洞窟の中にある気持ちです。そういう心の深いところに連れて行っても大丈夫な人と、そうでない人がいるわけで、ダメだったらもう一度連れてこようとは思わないし、相手もそれを望まないでしょう。そこが私の中で親密さを決める、一つのボーダーラインなのかもしれません。

本当は、誰もが理解者を求めています。しかしながら、価値観(あるいは信念や信条)の違いから、どうしても歩み寄れない部分が必ずあります。それは理解出来ない側の落ち度や責任とか、理解されない側が被害者となることではありません。単純に、理解出来ないという事実です。理解出来ないことに関しては、無理に歩み寄らずに静観することも、お互いの幸福なのではないかと思ったりします。

昔、「どういう人がタイプなの?」って知人に聞かれた時に「長期的に見た関係が築ける人」って答えたんですけれども、「それって具体的に言うとどういうこと?」って突っ込まれて、自分でもうまく答えられなかったんです。そのもやもやした部分の答えが、ようやくハッキリしたと思います。

日々の反省点 のはなし

普通の日記です。

ノートに「こういう風になる」「こうなりたい」という風に、色んなことについて目標を書いたり、失敗したら反省点をまとめて書いたりしているのですが。

「こうなりたい」ということを書いている時、自分が現在そうではないんだなと、目標や理想からかけ離れているということに気付いて、自己嫌悪になったりします。私はいつまで、違う自分を追い続けているのだろう、とか。

ある時まで、「コントロールすること」についてとても意識して生活していました。毎日、自分の中で決められたことをきっちりとやっていくことを、淡々と自分に課して、こなした場合には満足するような生活です。自分がだらしないとどこかで思っていたので、だらしなくない自分になろうとしていたのかもしれません。

その経験からすると、強く自律・自制しているくせのある人は、きっとコントロールできないことに対して、とても混乱するのではないかと思います。その中の一つの例ですが、一時期、食生活を厳密に管理していて、自分自身をきっちりコントロールすることが楽しいと思っていました。あるがままの欲求をコントロールできることが、それまでの自分にはできなかったことでもありました。不思議なことに、今は胃が悪いために消化能力が追いつかなくなって、食後すぐ寝るような生活をしない限り、「体重を減らしたいのに減らない」というようなことはなくなりました。二の腕はやたらと太くなる一方ですが。

強い自制を心掛けていた頃、必ず現れる問題というのが「コントロールできないものに対してどうするのか」ということでした。それは、運の関わるものであったり、他人や外部の意思の関わるものであったりします。私自身は、予期した通りに物事が進んで欲しいと考えていたので、突発的なことが起こると、全てがダメになったとか、極端な発想になって、どうしていいか分からなくなりしました。思考の癖というものは、一番変えにくい部分だと、本で読んだことがあります。行動は習慣づけで三週間程度で変えられますが、思考の習慣は信念体系をそっくりそのまま変えなければならないから、なかなかしぶとい。ですから、対処方法に悩んでいる時は、同じ失敗を繰り返して、大きなフラストレーションと壁を感じました。

そのうちの一つは、植物と生き物の生死でした。万事を尽くしてもこればかりは何ともならない。何回か生命の灯火の消えゆくのを見やって、ようやく人知を超えた領域というものの感覚を得ることができました。それは、私が何かに委ねるということを学んだ、大きな経験だったように思います。そして、いつか人間は必ず死ぬと思った時、まずは自分が毎日食べる食事も感謝しながら食べようと決めました。というか、いつか食事をすることもままならなくなると分かった時、そう思わざるを得なくなりました。普通の人には食べ物への感謝は当たり前のことかもしれませんが、飽食の時代に食事に感謝することができない、味の良し悪しに文句ばかり付けているような、なんとも不遜な生き方を続けていたのです。

他人の意思についても、相手に委ねることにしました。どうしても誰かの気持ちが欲しいとか、そういうことはあります。どれだけ神様に祈っても、届かない気持ちや振り向いてもらえないことはあります。誰かの為に何かをすることが無駄な努力かどうかはさておき、どうしようもならないことがある、ということを改めて感じます。人間が自律と自制を学んだ後は、それを一度手放すことと委ねることを学ぶ時期に差し掛かるのではないかと、ふと思いました。委ねることとは、自分の考える安全からはみ出すことでもあり、精神力を試されることでもあるなぁと、色々なことについて思ったりします。

理不尽への耐性 のはなし

普通の日記です。

良く思うのですが、人間生きていれば折り合いのつかない人が必ずいるはずで、許せない・どうしても怒りが拭えない人が1人くらいはいます。

私自身は万人に好かれるような人間ではなく、多少人の怒りを買ったりすることがあるのですが、最近、「許せない人は許さなくていい」と思ったりします。許そうとするから許せなくなるのであり、許さなくていいと思ったら、どこかで閉じられていた心の鍵が開くのです。

それよりも、自分が何に対して怒りを覚え、どうしたいのかをじっくりと考えるべきで、それが非現実的な方法や方向だったら、今ある現実を受け止めるしかないと思います。現実的かつ建設的な方法があるのなら、それを選べばいいのです。

確かに、理不尽なことや悔しさを感じることはあって、ひどいなぁと思うことが沢山あります。ただ、色々な人の話を聞いていると、多くの人がそれぞれに理不尽な体験をしてきて、それを口にはしないだけなのです。だからこそ、そういう人たちの普段の笑顔というものが、何によって支えられているのかということを感じたりするのですが。

以後、無闇にため息や悩みを話すのはやめようと思ったのですが、今日はうっかり、ため息をついてしまいました。気を付けようと思います。