はむはむログ

たのしい、かつ、たのもしい日記

楽になりたいわけではない のはなし

普通の日記です。

今日は夕方に家族のことや亡くなったペットについて考えることがあって、何度か涙がこみ上げてしまいました。

ペットロスなんて言葉がありますが、そんなつるっとした語感とは裏腹に、ペットを喪う悲しみは深いものなのだと、初めて痛感しました。他人のペットの死を思い出しても、その追体験というか、自分の体験と重なって、どうしても目頭が熱くなってしまいます。人間よりもペットとの付き合いが長くなっている場合、なおさら悲しみはすぐに離れてくれるものではないと思います。

「自分の愛するものについて考える」ということは、悲しみだけでなく、大きな力ももたらしてくれるのかもしれません。

夕暮れ時に一人で帰路を歩いていると、一日の嫌なことや悔しいことを思い出すことがあります。全く損な性格だと思うのですが、楽しい出来事よりも嫌だった出来事の方が先に思い出されてしまうのです。

そういう時、いつも自分が大切にする家族のことや尊敬する人、好きな人のことを思い出します。そうすると、不思議と明日も頑張ろうという気持ちになれるからです。時々、こんな夕方には思いが高ぶってしまい、涙が出そうになるのです。

私は決して不幸に生きているわけではなく、暖かく過ごせて栄養のあるご飯が食べられていて、支えてくれる人々もいるわけで、本当は何も憂えることはないはずなのですが、毎日の細かなことに気を取られてしまうことがあります。生きているという現実に比べれば、全てはくだらないことなのかもしれません。なぜ悩んでいるのでしょうか。何のために頑張るのでしょうか。悩まないことは、結果的に怠惰にならないのでしょうか。そんな風に、よく分からなくなることがあります。一つだけ言えるのは、悩むことを放棄すれば楽になるかもしれませんが、自分は自分の問題と向き合わなければならないと思うがゆえに、悩むことを手放せないのかもしれません。答えは風の中にある?難しいな…。

10年後には、 今悩む色々なことについて悩まずに生きているように、とりあえず頑張ろうと思います。